読書感想文『イリヤの空、UFOの夏』あるいは猫になりたくなる話
日本萌学会の反射炉です。
今年の冬将軍は、いよいよ最後の悪あがきというところでしょうか。
みなさん、はやり風邪などひいていませんか。
私はUFOの夏にいます。
もとい、
『イリヤの空、UFOの夏』
(以下『イリヤ』という。)を読みました。
反射炉特派員、まだ読んでなかったのかい?
「おっくれてるぅ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!」
(『イリヤ』その1)
…そう叫ぶ萌学会員の姿が浮かぶようです。
はい、おっしゃるとおりです。
- 『イリヤ』を読んでないオタクはモグリ。
- 私は『イリヤ』を読んでいなかった。
- よって、私はモグリ(三段論法)。
しかし、今の私は違います。
なぜならば『イリヤ』を読んだからです。
よって、『イリヤ』を読んでいないモグリどもに対しては、いつでもこう言ってやれる権利を手にしたのです。
「おっくれてるぅ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!」
(『イリヤ』その1)
と。
🌀
一応、未読の方
(おっくれてるぅ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!)
のために、軽く『イリヤ』の紹介をしておきましょう。
中学2年生の浅羽直之は、夏休み最終日、深夜忍び込んだ学校のプールで「いりや」と名乗る謎の少女と出逢います。
そして「いりや」は、なんと、次の日から浅羽のクラスに転校してきたのです。
そこから始まるジュブナイルストーリーは、笑いあり、涙あり、青春あり、友情あり、恋愛あり、政治要素あり、ミリタリー要素あり、フードファイトあり、人間ドラマあり、オカルトあり、サイエンスフィクションあり…と、たった4巻にしてなんでもありの百面相を披露してくれます。
それでいて「きみとぼくと世界の物語」としての軸はぴくりとも失わない、2001年初版にして令和に読んでなお痺れる、"セカイ系"の金字塔です。
🌀
さて、今日の本題は読書感想文です。
ネタバレを含みます。
ここからは、未読の方
(おっくれてるぅ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!)
は先に読んでから来ることをおすすめします。
🌀
というわけでいきなりですがエピローグの話です。
既読の諸賢は、この物語の締めくくりの一文について覚えておいででしょうか。
(念押しですが、未読の方
(おっくれてるぅ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!)
は早く読んできてください。)
「伊里野を探しに行ったのかもしれない、と浅羽は思っている。」(『イリヤ』その4)
失踪した校長(猫)の行き先について言及したものですね。
校長といえば、逃避行先の学校で伊里野に拾われた野良です。
そんな彼は、最後、浅羽家を去ります。浅羽はそれを「伊里野を探しに行った」と憶測します。
その失踪をもって文章は途切れ、この物語はここでおしまい、はい、と読者は外に放り出されます。
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私はその無風の嵐のような余韻の中、芥川龍之介の『羅生門』を想起しました。
『羅生門』既読の諸賢は、その締めくくりの一文について覚えておいででしょうか。(未読の方
(おっくれてるぅ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!)
は青空文庫とかで読んでください。)
「下人の行方は、誰も知らない。」(『羅生門』)
最後に下人が失踪したことが告げられ、これ以上語るべきことはない、と宣告されたような、突き放すような読後感が走るところは、『イリヤ』のそれと少し共通しています。
しかし、この結末、深読みすればするほど対照的なのです。
(と私は思います。)
これからはその話です。
🌀
『羅生門』の結末からは、なぜそのような読後感がもたらされるのか。
ありうる解釈として、ここでの下人とは、下人個人に留まらないのだと考えられます。
生きるために悪事をはたらくのは悪か?
老婆は、仕方がない、と言い訳をします。
読者は、下人とともに、その言い訳を聞きます。
下人は、仕方がない、と思います。
おそらく、読者も少し、そう思います。
そう思ったなら、即ち、することはひとつです。
同じ悪に手を染めることです。
ーそれから、下人は、どうなったと思う?
読者は、途中まで下人に自分を重ね見て読みます。ある意味、分身を見るように。
しかし老婆を追い剥ぎするところで、少し心が離れます。
もしその後、下人が完全に悪の道に堕ちれば、読者は
「自分は下人とは違う。」
と離れることができたはずでした。
しかし、下人は失踪し、その先のことはわからなくなってしまいます。
ーお前は、これからどうする?
読者は急にそう聞かれ、巨大な問題に独りで直面し、途方に暮れるしかなくなります。
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では、『イリヤ』のほうはどうでしょう。
校長は、物語終盤、浅羽たちに対し、しばしば読者の代弁者のようなふるまいを見せました。
ー浅羽、伊里野が呼んでるぞ。
ー浅羽、伊里野はこっちだ。
ー浅羽、本当にそれでいいのか。
あの猫はもちろんそんなことは言っていません。変な鳴き声をあげるだけです。しかし浅羽の足元にぬるぬるとまとわりつきながら、どう見てもそう言っていました。
私は、いつしかそれを分身のように感じていました。
読者のみなさんも、そうではありませんでしたか。
そんな校長も、最後には失踪します。
唐突に分身の消失が告げられ、それでいて
ー伊里野は、どうなったのか?
肝心なことは明言されないまま、読者は作中最大の問題を目前に置き去りにされます。
このときの私は『羅生門』で感じた当惑と似た匂いを感じていました。
しかし、この失踪には、下人のそれと決定的に違うところがあります。
それは、
その行先が、浅羽によって示唆されていることです。
「伊里野を探しに行ったのかもしれない、と浅羽は思っている。」
…私が何を言いたいか、もう、みなまで言わずともお分かりでしょう。
浅羽家の中で飼われていた校長にとっても、あの後の伊里野のことは知りようのないことです。
だから校長は伊里野を探しに行くのです。
いつまでも途方に暮れている場合ではありません。
私も。
本をひっくり返して、深読みを繰り返して、UFOの夏に何度でも帰って、伊里野の空を、伊里野の生きる世界線を、探すしかないのです。
🌀
とはいっても。
校長は読者の完全なる分身ではありません。
なぜなら、校長は浅羽の心を窺い知ることができないからです。
有り体に言えば地の文が読めないからです。
…浅羽はみなさんご存じのとおり勘の悪いやつで、
やつの決めつけはほとんど楽観的妄想に過ぎませんでしたが、
そのくせ、やつの憶測は、いつも絶対的現実でした。
終戦宣言の直後、クラスの中でただひとり夏服で登校した浅羽は、そのとき、
はっきりと
ある致命的な憶測をしやがりました。
何とは言いません。
既読の諸賢は、覚えておいででしょう。
私はそれを知ってしまっています、
伊里野を探さなければならないのに。
しかし、校長は、
我々が承知のうえであるその憶測を知らないままに、
伊里野を探すことができるのです。
🌀
だから私は猫になりたい。
(終)
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