姫ギャルパラダイスコネクトリダイブ

日本萌学会の萌岡・ザイン・アブドゥルハキームだ。

ふだんはツイッタというさばくでえっちな絵をファヴォしている。えっちな絵というのは「萌え」のひとつの核だ。さつじん的な太陽のもとのオアシス、甘いデーツだ。生きていくにはけして飢えてはならないからときに貪欲に追いかけることもひつようだ。

それに比べればおれが時折えを描いたり音楽をつくったりラッパーアのまねごとをしているといったことは本当にどうでもよくて、そんなことばかり気にしているとこのさばくでは一生あいまいに娘とハシーシュに溺れてしぬ運命(カダル)にある。

おまえがもしあほやこしぬけでなくさばくをいきのこる本物になりたいというならば読め。


御名において。

萌えを語るものはかわいいを語ることから逃げられない。かわいいから逃げた萌えがたりは味のないコシャリだ。フェイク野郎はタブク・ライフルのまと、あるいは外の犬(カルブ)の明日のめしだ。だが今日おれが見本をみせ、おまえは選択肢を得る。それはとても運のいいことだ。たたえあれ。


姫ギャル♡パラダイスという少女まんががある。これは「かわいい」のアラック(蒸留酒)だ。並のにんげんどもにとってはアスプコブラの毒よりもおそろしいが、もし「ほんとう」を、「かわいい」を知りたいのであればアル・イクシールよりも上等の薬となっておまえの神経に作用する。

このまんがの劇薬さを見るだけならおまえは1ギニーも払わなくていい。おまえはグーーグルのがぞう検索をためすだけでいいし、ツイッヤには名言botがある。だが、それでまんぞくするこしぬけはたちどころに死んでしまう。

なぜならそのようにして得られるインパクトは姫ギャルパラダイスの本懐ではないからだ。あほの腰抜けの不信心者―――すなわちエアプだったころのおれはボボボーボ・ボーボボを想像していた。おろかなエルフは白骨となっ砂へ朽ちていくときまっている。ここは森ではない。さばくだ。おれは生き延び、やがておまえも生き延びる。

小学館はじひぶかくも試し読みをやっている。たたえあれ。買え、時間はknifeのようにふりおろされる。

よんでおまえはおどろく。めいげんしゅうや他のブロッゴにかかれていたような奇抜なコマはそのままに、あまりにも読みやすくていねいなストーリーラインがてんかいされているからだ。


姫ギャルパラダイスは、本物の女たちのはなしだ。

主人公の姫子という女は地味でざつなあほのこしぬけだ。失敗をおそれてうじうじと空回りばかりしているし、なにもかもをあきらめていた。そんなこしぬけのもとに美神とちおとめが転校してくる。この男は本物の女だ。「かわいい」をきわめ姫ギャルという器にたどりついた。

おまえは見る。とちおとめだけではなく、姫ギャルパラダイスにでてくるギャルの全員が本物の女(ひと)だ。おまえはそしてアラクの強烈なアルコホルにぶちのめされてかわいくなりたいと思う。この腰抜けもそうだ。かれらかのじょらとの日々のなかでこしぬけから姫ギャルへと皮をぬぐ。最終話の大ゴマなど明日からでもさばくを生きられる本物の姫ギャルである。おまえもそのようになる。


姫ギャルパラダイスにおいて「かわいい」はすべてだ。騎士道で、武士道で、倫理で、矜持で、通貨で、武力で、共通言語だ。水戸のアミールが印籠をふりかざし遠山のウラマーが桜をふぶかせるようにギャルが盛る。あらゆるいざこざはかわいさの勝負に収斂させられる。かわいくないことよりもかわいくあろうとしないことが咎められる。このまんがの異様な安定感は時代劇のそれに似ている。かわいいというきょだいな背骨が物語の頭頂からつま先までをつよく貫いている。


特異なひょうげんを使うには相応のりゆうがある。けしてメキシコの真の男ではないおれがこのように逆噴射総一郎氏のコラムの文体(逆噴射文体)のまねごとをしているのは、あまりにもつよいまんがに対抗して語るに足る力、すなわちGUNをてにいれるためだ。おまえはおれのようなむりをしなくていい。ラクダにけられてしにたくはないだろう。

かにはうまい。しかし髪飾りとするにんげんはいない。さばくにもいない。だが姫ギャルは違う。「かにって赤くてかわいくね?」と盛る。HARAJUKUはイカしたさばくだ。しかしそのものを頭に載せてしまうにんげんはいない。だが姫ギャルは違う。万物を盛り、おまえはしびれる。そういうとっぴな表現の9mm弾を姫ギャルパラダイスがUZIのようにれんしゃするにももちろん理由がある。


すべての道徳を「かわいい」をつうじて語るためだ姫ギャルパラダイスには正義も善も神もぐんたいもフール・メダンメスもない。それら何もかもが「かわいい」「かわいくない」の二元に回収される。しばしば人生のLessonが「ギャルゎ~だョ!」という型におしこめられて”かわいくなるための助言”として呈されるのは、姫ギャルパラダイスでは「かわいい」について語ることが世界を記述することと同義だからだ。

さばくにあほとこしぬけと本物のにんげんしか居ないように、姫ギャルパラダイスにはギャルしかそんざいしない。ゆえに「ギャルゎ」という文言は「ひとは」にひとしい。ギャルたちにとってかわいくあろうともがくことは、おれやおまえでいうならば敬虔にれいはいをし手にもったGUNを磨いてあしたのエイシュをかくほすることだ。本物をめざすことだ。ほんものはさばくを生き残る。そして時々ハリームを食う。ハリームはサイコーだ。


本物の女(ひと)は筋が通っている。そして常により本物であろうとする。すなわちギャルだ。かわいいギャル……つまり本物の人間にあこがれ、自分もまた「ほんもの」になりたいと思うとき、そこに生まれるのが「萌え」だ。ほんものに至る道はさまざまだ。おれやおまえはマスギドにかよう。ギャルは盛る。だけれど皆「あの子のようになりたい」と、「かわいくなりたい」と「本物になりたい」と一心に願っている。その希求するしせいがひつようだ。さばくで生き残るものはほんもので、あこがれて努力する次の本物を生む。まねごとと偽物はこころいきが真逆だ。おまえは萌えろ、そして萌えになれ。

おれはここで姫ギャルパラダイスからとびだして一人の娘のはなしをする。

ペコリーヌ、という名のむすめだ。おまえもなまえくらいは知っている。プリンセスコネクトRe:Dive!、通称プリコネRというさばくに生きる娘だ。

ペコリーヌは本物の女(ひと)だ。だが、このむすめがどうして、どのようにほんものであるかを言うにはプリッコンのネタバレをさけてはとおれない。ストーリー2部がこうかいされゲームをすすめなくとも1部がすべて読めるようになった現状、そんなネtバレなどにうじうじとしているようなファック野郎はほんらい海よりも冷えた夜のさばくで歯の根をふるわせながら惨めにしんでしまうところだが、おれは優しいのでいちおう空白行をはさんでおく。たたえあれ。











いいか?

プリコネRのはなしはまずおまえが世界をすくったところからはじまる。お前はせかいを救い、女をかばって重大なダーメッジをうけ、全てのきおくを失った。目をさますと、お世話係をなのる幼いエルフがいて、おまえたちはモンスタッアに囲まれている。

そこへ飯をくいながらあらわれた不明な娘。めしをくい脅威を斬りふせ道をひらきながら人をひろいギルドをけっせいし、めしをくう。エルフにつけられたあだなが「お腹ペコペコのペコリーヌ」。本名をなのらずに以降ペコリーヌとじしょうしていく。

おまえは思う。ふめいで曖昧でうろんすぎる。強くてかわいくて明るくて異様な量のめしをくい、食に異常にしゅうちゃくしていて、しかし気品と賢さをかくせていない。ペコリーヌはあまりにひみつをもっている。あらいざらいやるぞ。


ペコリーヌは舞台である王国の、ほんらいの王女だ。姫ギャルは姫っぽさへの希求だが、ペコリーヌはほんとうの姫だ。おまえは本来の?といぶかしむ。そこが肝要だ。わるいきつねとかが世界を書きかえたせいで王女のかたがきや名前、あまつさえ戸籍までもをうばわれ、全土で指名てはいされた。

くわえて唯一城からもちだせた王家のそうびはすごいパワの代償としてエネルギーをかっさらっていく。ペコリーヌはたたかう限り、あるいはたたかいに備えて武具をまとうかぎり、常に餓死のきけんを背負う。ゆたかな王国でひとりだけさばくをやっているのだ。だから食らう。さばくで生きていくためにはけして飢えてはならない。


さいわいにもペコリーヌは食べることを楽しんでいる(ようだ)が、年頃のむすめにとって異常な量のめしを食い続けなければ死ぬということがいかに恐怖をもたらすかおまえは考えたことがあるか。空腹が武装解除にひとしいというおそろしさや、ばくだいな食費をかせぎつづけるひつようにかられるプレッシヤに耐えることができるか。おれはむりだ。それだけではない。


本名、つまり姫としてのなまえをユースティアナという。いまはわるいきつねのことを国の全員がユースティアナだとにんしきしていて、だれもユースティアナであったころのペコリーヌのことをおもいだせない。まものから助けた旧知の令嬢に「はじめまして」と言われ、その騎士には「どこかで見た顔だな…あっ指名手配犯の!」と追いかけられる。おまえは全てのきおくを失っているが、ペコリーヌは全てのきおくから失われている。


わかるか?おまえが齢17のおうじょだったとして、むじつの罪でくにを追われ、しりあい全員から忘れられ、本名をけしてなのれず、つねに飢えに苛まれ、うまれそだった王宮のじょうしきが通じない市井で、それでも王女として気丈に民をおもい、優しく明るくばかをやることができるか?

過酷なさばくで虫だろうが魔物だろうが食らいつくしながら、その大変さすら気取られずにきげんよく生きることができるか?自他をたのしませ続けることができるか?偽物とそしられてそれでも誰よりもほんものでありつづけることができるか?


ペコリーヌにはおれやおまえにはない本物さがある。輝いている。

おれはそのようにありたいとおもう。

すなわち、萌えている。


おまえもおまえだけの萌えを、本物をさがせ。

萌えろ。そして萌えになれ。

日本萌学会ジャーナルブログ「萌え人」

日本萌学会を中心に結成されたオタク集団、「日本萌学会」の公式ブログです。 早く滅ぼしましょう。

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